月はどっちに出てますか?
凍てつく寒さのホームタウンで
「じゃぁ来シーズンね」と「握手」を交わしたあの日からもう、何日が経ったのだろう。
それからサンタがやってきて、年が明け、ゲーフラを作り、深井が濃紺のユニであらわれ、荒野と武蔵が自転車にのり、Twitterでワニが死んだ。
流行り病の事の重大さが日に日に増して、テレビからの喧騒が心を曇らせ、人のこころがギスギスして、笑みを欲し出した頃、小さい頃に「後ろと」叫び続けた志村が死んだ。
あの極寒の札幌で、誰一人フルネームすら知らない人達と終電間際に別れを告げて一人ホテルに帰った夜。
滑る足下を気にしながら行き交う人々と軽く肩が触れ合っても声を荒げる事無く笑顔の会釈で済ませ、その笑顔のまま視線を上げた夜空にはたして月は出ていたのかは今となっては遠い昔のようで思い出せない。
あの夜の街中にこんな未来を想像していた人なんて誰もいなかったし、もし想像していたら
もっと感傷的な別れの挨拶もできたような気がする。
現在。過去。未来…
昔の唄に出てくるような歌詞で毎日、2週間前の答え合わせをさせられ、そのさなかに2週間後に一人づつ名前を呼ばれて返ってくる答案用紙に自信のない答えを書き続ける日々は、ちょっとの思い出を過大に拗らせるには充分な授業だ。
大好きなフットボールも取り上げられてなお思い出すのは、言葉狩の猟師の目を機敏に交わしながら北の大地に「支援」してくれる赤と黒のフットボーラーの事ばかり。
描いていた世界では、「2週間」という時間はそのフットボーラー達を大声で叫び、またホームへ戻ってくる時間だったはず。そんな答え合わせを今頃してるはずだったし、初めて作ったゲーフラを掲げ、そんな「日常」を楽しむはずだった。
スーパームーンの今宵。
北の果ての町では厚い雲が空を覆い、月は出ていない。
でも、
その空の雲がちょっと老朽化した競技場名物の風に追いやられて晴れ渡る日は必ず来る。
なんの根拠もない「願い」というエビデンスを信じて。
その時はね、サッポロビールを飲んで、この前のホームの試合じゃ見れなかった月が2週間後の今日は綺麗だよ、と話そう。
そんな現在、過去、未来を妄想してやっぱり今夜もサッポロビールを飲む…
そちらでは月はどっちに出てますか?