映画館のザワザワ感…。
小学生の頃、親父に連れられて映画館に必ず見に行く作品があった。
『ドラえもん』。
毎年公開されたこのアニメ。
今思えば私に見せたかったんじゃなく単純に親父が見たかったんだと思う。
当時映画の原作版が少年誌に毎月連載されており、親父と私はストーリーやラストまで話の筋はしっかり頭に叩きこん出た訳で、尚且つ映画館にも私を連れて行った。
「暗闇の中大画面で味合う非日常」
でも毎週テレビで見るアニメのドラえもんとどこか違うナ?なんだこのザワザワ感…。
その答えは大人になるまでわからなかった。
彼と歩んだこの数年間はのちにコンサドーレ100年史ができたとしたら「飛躍の一歩」の章に野々村社長とともに間違いなく名前が記されるだろう。歴代ゴール数も更新したし、記念ゴール、ロスタイムの男。記憶にも沢山のゴールが刻みこまれた。
河合や内村はその前の「苦難の歴史」の章に記される選手達だもんね。
都倉が移籍してくる前の彼に対する私の印象はというと…
「まぁ鼻持ちならない選手」の一言。
バロッテッリのゴールパフォーマンスはまだ笑って見れた。でも、対コンサの試合で点を取った後のゴールパフォーマンスと言うか感情表現はゴールというやり場のない落胆に更にチクチクするものを指してくる感じ…。早い話、あまり好きな選手では無かったわけです。
だからコンサドーレに移籍の報を聞いた時は喜びよりもあの嫌な感情を味わわなくて済むという安堵感が正直な感想。
コンサ入団後の彼は…
ここに書くまでもない活躍。テレビの前、スタジアムで何度彼のゴールに絶叫した事か。
他にも彼の果たした功績…「チームの広報党」
コレはクラブからの要請なのか本人が自主的にそのポジションにいったのか。
推測でしかないけど元々SNSやブログの情報発信に積極的な都倉をクラブ側が活用したという所かな。
彼も自らそこのスペースに入っていた感もあるよね。プレースタイルとはちょっと違うけど…。
ただプレーと共にそのビッチ外のプレーに私達が引き寄せられていったのも事実。
特に昨年の最終戦の前にツイッターのアカウントを「行くぞACL」に変更を呼びかけそれにフォロワーのサポが呼応していく様子。年甲斐も無く私も乗っかっちゃたし。
スポーツ選手とSNS、選手とサポーターの関係は今までのコンサドーレにはない形であった。結局そのSNSで最後に波紋を呼ぶ置き土産をしていったわけだけど。
サポーターとの関係性で言えばゴール裏のサポーター対するプレイヤーとしての関わり方も印象的。
敗戦時…。
次戦への奮起を期待するサポの姿を胸のエンブレムを叩きながら見つめる立ち姿。あの0-7の敗戦後にゴール裏のサポーターに向ける眼差し。その姿はイケメンぶりも相まってサポーターも仲間、共に戦っている戦友と感じさせるに充分なシーンだった。
ただ…
そんな感傷的で社交的で友情の証の姿とは対照的な彼のヤンチャぶりは何度も目にした。
相手サポの大ブーイングもね。
ジュリーニョとのいい合い。交代後の四方田監督への態度からのベンチ外の制裁。
サッカーを始めた少年の様な感情を隠そうとしない態度に違和感を感じる人も多かっただろう。
でも気づいてしまったんだ。その姿を見た時の違和感。あの映画館で感じた同じザワザワ感。
都倉はジャイアンなんだ。
いつものび太を仲間ハズレにし場の空気を読まずにリサイタルを開いてしまうジャイアン。
でも彼はその反面、映画館では主役ののび太を食っちゃう程の友情と勇気を見せてくれた。
だから毎週テレビの悪態ブリを見せつけられていてもどこかで彼の違う面を感じていたし
反対にいくら映画で彼の勇姿を見せられてもひねくれ者の少年の私は、違和感という感情を抱いていたのだろう。
彼とジャイアンは計算なのか本能なのか?
でもこれだけは言える。
ドラえもんにジャイアンが重要なパーツであったかの如く都倉賢もこの数年のコンサドーレの熱狂に欠かす事のできない登場人物であった。
だから、私は彼に惹かれた…。
移籍の経緯、その後のSNS…。
彼が優等生で場の雰囲気を読む登場人物だったらドラえもんは面白くないもんね。
さぁ今季のセレッソ戦。
我等のホームにジャイアンは現れるのか?
私達はどんな観客で彼を迎えるのか?
まぁ、ブーイングでもノーリアクションでも良き観客でいなきゃね、ジャイアン…。